東日本大震災では、JR東北線などが寸断された。物資の主要な輸送路を断たれ、暖をとり車を走らせる燃料も底をついて、首都圏から緊急石油輸送が繰り広げられた。横浜を起点に日本海側をぐるりと鉄路で回る究極の迂回(うかい)ルート。当時、東北支社長として陣頭に立った真貝康一(しんがいこういち)・JR貨物社長(66)に、被災体験を踏まえた新たな災害対策を聞いた。
「(東北唯一の)仙台の製油所が津波でやられ、ガソリンスタンドに長蛇の列ができて…。地震発生から二、三日後のことですが、緊急輸送について国からも強い要請がありました」と真貝さんは振り返る。
直ちに検討を進めたが課題は山積み。JR貨物が所有する線路は貨物ターミナル駅などわずかしかなく、地域ごとのJR旅客六社の線路を使って貨物輸送を手掛けている。列車運行には旅客各社との調整が必要だった。
横浜・根岸の製油所から新津(新潟県)、秋田、青森を経由して盛岡まで約千キロ運ぶには、JR東日本の線路だけではなく、青森−盛岡間は「青い森鉄道」「IGRいわて銀河鉄道」という第三セクター二社の線路を走ることになる。
途中で電化方式が直流から交流へ切り替わるうえ、勾配が急な区間も存在。それぞれに適した電気機関車を充てるため、EF210形→EH200形→EF81形→EH500形と次々に交換し、計四種類の電気機関車を使う。さらに、機関車が牽引(けんいん)する四十五トン積みの大型タンク車が、全区間の線路で走行可能かどうか確認も欠かせない。
盛岡行きとは別に、新津から郡山へ磐越西線経由で運ぶルートも設定したが、ここには電化されていない区間がある。「ディーゼル機関車と、その運転士の確保が大変でした」と真貝さん。DD51形ディーゼル機関車を門司(北九州市)などから集める一方、郡山から運転士四人を稲沢(愛知県)へ派遣して訓練させた。
当時、車両の手配に携わった社員は「二週間以上も泊まり込みでした」。盛岡行きの緊急輸送は震災後一週間の三月十八日、郡山行きは同二十五日に始まった。磐越西線では雪のため機関車の車輪が空転して坂を上れなくなり、JR東の機関車が後ろから押して乗り越えたこともあった。
東北線での輸送が再開した四月二十一日までに、盛岡へはタンクローリー千八百五十台分、郡山には千台分のガソリン・軽油・灯油を届けたとされる。
震災で大切さが際立った迂回ルートを、より有効活用するため、JR貨物は次なる手を検討している。
「地形の特性に合わせて機関車が造られてきた歴史があります」と真貝さんは指摘する。だからこそ細かな機関車交換が行われるのだが、非常時に備え、交流直流両用で出力の大きいEH500(愛称・金太郎)を改造し、運用できる範囲を広げる計画を進める。日本海沿いに東北と近畿を結ぶ日本海縦貫線(羽越線など)では秋田以北に限られている走行区間を「新潟まで延ばせれば…」という。
また、工業製品や食品などを運ぶコンテナを、鉄道が不通の場合は船へ積み込んで海上を運べる仕様へ変えている。
今秋からは、機関車の運転士にIT端末を持たせ、トラブル発生時に現場の状況を撮影した画像を瞬時に関係部署へ送る仕組みを導入する。「震災直後も携帯電話を使ってワンセグでニュースを見ていました」と話す真貝さん。「非常時を想定し情報インフラを幅広く築いておくべきです。文明の利器は早めに取り入れようと思っています」
文と写真・嶋田昭浩
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