2015年に合意した温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」は、気候変動対策の歴史的な転換点となった。今、どの国も目標に向かって必死に対策を講じていることだろう。ところが、どの国の排出にも計上されない排出もある。国際間の航空輸送と海上輸送だ。領空や領海の外で行われる経済活動にはどの国も課税も規制もできないからだ。
国際間の航空輸送と海上輸送の排出量は、日本の総排出量を上回っている。世界のエネルギー消費からの排出の4%程度を占めている。しかも今後も輸送量は増え続けると見込まれる。削減対策は欠かせない。
京都議定書では海運は国際海事機関(IMO)、航空は国際民間航空機関(ICAO)と、それぞれ国際機関が担当すると決めた。
3つの長期シナリオ
ICAOは20年以降に排出を増やさない炭素中立型成長を目標に掲げる。機体やエンジンなどの改良、運航改善、燃料転換、さらにはCORSIAと呼ばれる排出量取引の4つの手段を駆使して目標達成を目指す。だが、世界が目指しているのはネットゼロだ。現状水準維持では不十分であり、50年目標の検討が始まった。
22年3月に公表された長期シナリオ分析では、機体やエンジンの改良などによる技術イノベーション、運航改善、燃料転換と3つの手段に分けて検討されている。「現状見込まれる技術や燃料のイノベーションの実現」のほかに「イノベーションが進んで低炭素燃料の供給が最大」、つまりベストケースシナリオも作られた。「中間シナリオ」も加え、3つのシナリオにまとめられた。
技術では胴体と翼が一体化した斬新な機体や電動化などが検討されている。燃料転換ではゴミなどの利用を含むバイオ燃料、さらにはカーボンフリー水素を使った合成燃料などを取り上げている。ベストシナリオは水素燃料が50年に2%ほど使われると見込むなど、大きな変革を盛り込んだものだ。排出量は現在水準の3分の1まで減る。だが年間2億トン相当の排出が残る。
減らし切れない排出
この分析は他の分野でも参考になりそうだ。
第1は「減らしきれない排出」の存在だ。有力な手段とされているバイオ燃料には土地や水の制約があり、食料需要との競合や生物多様性にも配慮が必要だ。想定したほどの量が供給されないかもしれない。
さらに技術イノベーションも不確実で、残る排出量は2億トンに収まらないかもしれない。排出をネットゼロにするためには、ベストケースでも毎年2億トン以上のマイナスの排出量を他から借りてきて、相殺することが必要だ。大気中の二酸化炭素(CO2)を固定化したり、バイオマス発電からの排出を固定化したりすることが、マイナスの排出の候補だ。
第2は業界全体で協力することによる効率的かつ平等な削減だ。パリ協定は国ごとの取り組みであり、国ごとに対策の強度で差が出てしまうのが現実だ。その理由の一つは国際競争力だ。規制強化は短期的にはコスト増であり、ライバル国の企業との競争力への配慮が必要になるからだ。
航空部門はこの点でユニークだ。航空会社の費用構造をみると燃料費が3割から5割で、機体の償却費用の割合も高い。機体は同じだし、国際線の燃料は課税されない。比較的平等な競争条件だ。国境を越えて産業毎に最適な削減を考えるセクター別アプローチが導入しやすい環境が整っている。航空や海運は国別取り組みの限界を突破する試金石になりそうだ。
燃料サーチャージを活用
第3はコスト転嫁だ。コスト増をできるだけ抑える企業努力は当然だが、それを上回るコスト増は購入者に転嫁されることで、構造転換や行動変容が促される。経済学では当たり前の考えだ。しかし、現実は市場を失うのではないかとの供給側の懸念や、価格増は避けたい需要側の思惑から転嫁はなかなか進まない。それが対策強化のブレーキ役となっている。
航空分野では変動する燃料価格に対応するために「燃料サーチャージ」という仕組みを使って運賃に反映させている。排出コストでも応用できそうだ。
「とび恥」と言う言葉が話題になったことがあった。だが生活やビジネスに飛行機は欠かせない。ゼロエミシナリオに沿った排出コストを反映して運賃を決めたらどうなるだろうか。利用者は排出コストを上回る価値があると判断して利用を決めた、つまりゼロエミシナリオに沿った利用と整理できる。コストを払い、そのコストを見える化することが脱炭素化時代にあう仕組みといえるかもしれない。
世界は排出ネットゼロを目指している。しかし、技術イノベーションの不確実性や産業競争力への配慮、さらには安全保障の制約、と実現に向けての壁はいくつもある。セクター別対策による競争力低下への対応、排出コスト転嫁による構造転換と行動変容の促進、「削減が難しい排出」にはオフセット――。国際航空の取り組みにはパリ協定のボトルネックを克服するヒントがありそうだ。 [日経産業新聞2022年5月6日付]
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