Thursday, August 18, 2022

輸送機炎上 まざまざと - 読売新聞オンライン

 「ああ、姫路の方に行きよる」

 1945年3月19日、加西郡 九會村鶉野くえむらうずらの (現在の加西市鶉野町)にある姫路海軍航空隊の鶉野飛行場に隣接する川西航空機の戦闘機組み立て工場。フラップや車輪など油圧系統の整備を担当する小谷裕彦さん(95)(加西市鎮岩町)がいた。

 東から飛来した米軍艦載機は、鳴り響く警戒警報が空襲警報に切り替わる前に、もう視認できる位置にまで接近していた。そのまま南へ向かうのかと思いきや、機首の向きを変え、鶉野飛行場を強襲した。小谷さんは伝令として守衛所に走った。

 待避所に駆け込み、伏せた。その瞬間、「バババッ」と音を立て、5メートル先で機銃掃射の土煙が上がった。滑走路の零式輸送機が炎上した。「飛行機が燃えるゆうのは、えらいもんやで」。なすすべなく見つめるしかなかった。その光景が今もまざまざと目に浮かぶ。

       ◇

 航空隊が開設された43年、川西航空機姫路製作所に養成工として入所。加西市から姫路市天神町まで25キロのでこぼこ道を自転車で通った。完成した戦闘機が試験飛行で飛来すると、皆で歓声を上げ、手を振って出迎えた。翌44年2月、鶉野へ。姫路で造った機体を分割して馬が引く荷車に載せて鶉野に運び、組み立てていた。

 主力戦闘機「紫電」は短期間で増産され、不調も多発。機体の びょう は、わずかな傾きがあっても作業はやり直しだ。エンジンの振動でナットが緩まないように細心の注意も必要だった。油まみれになり、徹夜の整備が続いたが、体を横たえて休む場所がない。出入り口の扉の戸袋の上、高さ4メートルにある幅60センチほどのはりによじ登り、転落防止にと体に巻いた針金と柱を結んで仮眠をとった。

 性能を高めた「紫電改」が45年に登場すると、紫電よりも低い主翼にたびたび頭をぶつけた。完成した機体は「軍艦マーチ」を流して送り出す。

 ある日、紫電改が滑走路の段差に車輪を引っかけて前のめりになり、整備したばかりのプロペラがぐにゃりと曲がる瞬間を目撃。工場の作業員から、ため息が漏れた。「こっちは1機でも早く出したると頑張っとんのに、何やねん」

 45年6月の姫路市への空襲で姫路製作所が全滅すると、組み立てや整備をする機体がなくなってしまった。

       ◇

 「話すもんが、みんないなくなってしもうた」

 2019年、加西市は紫電改の実物大模型を作り、滑走路跡の倉庫で公開。小谷さんは、航空隊や飛行場の調査や資料収集に取り組んだ「鶉野平和祈念の碑苑保存会」のメンバーとして月2回の公開日に足を運んだ。

 驚いたのは、90歳代や100歳を超える戦争体験者やその遺族、子や孫らが「当時の話を聞きたい」「体験を聞いてほしい」とひっきりなしに全国から訪れたことだ。各地の講演や授業にたびたび招かれたが、この3年間ほど、当時を語り、体験者の話を聞く機会はかつてなかった。

 市が今年4月、平和学習施設「 soraそら かさい」を開設。模型の屋外展示がなくなると同時に、そんな場面は消えてしまった。「『話したい』『聞きたい』という人はたくさんおるが、その場や機会がない」と話す。

 30年ほど前、川西航空機従業員の戦時体験の聞き取り調査に集まった約30人の大半が鬼籍に入った。「最初は『そんなもん、今さら』と思っていたが、戦争があればどれだけえらい目に遭うか、やっぱり若いもんが知らんといかん」

 市が巨費を投じて模型や施設を造る一方で、戦時中の姿をとどめる防空 ごう を市道工事で撤去することには憤りも募る。「平和を続けるには、昔のつらさを重ね、政治や若者が『何をしたらいいか』を考えないと」と力をこめた。(高田寛)

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