福岡県柳川市の雨が強まる3日前、7月3日夕方のことだった。柳川市三橋町柳河で農業法人を営む椛島貞博さん(73)の携帯電話に、市水路課から着信があった。「干潮に合わせ、排水門を開けてください」 【地図】市中心部を流れる掘割。市全域にも張り巡らされている 同じ連絡は農業関係者や地元区長ら約700人にも行き渡る。連絡を受けた椛島さんたちは市内にある約1100の排水門に駆けつけて開門。4日には幹線水路の水位が1・5メートルほど下がり、市内を網の目のように走る掘割のあちこちで底が見えるほど水が減った。泳げなくなっていたコイも救出した。 柳川市では6日午前8時からの24時間雨量が361・5ミリを記録。甚大な被害があった2012年の九州北部豪雨の281・0ミリを超え、過去最多を更新した。それでも市街地が大規模冠水した久留米市、大牟田市に挟まれる地勢にもかかわらず、被害は床上浸水2件、農業被害(速報値)も両市の1~2割程度に抑えられた。排水した掘割が大量の雨水を受け入れ、ダムの役割を果たして冠水被害を軽減できたとみられる。
× × 柳川市の掘割は網の目のように広がり、総延長は930キロ。ざっと羽田空港までの距離に匹敵する。干拓地が多く、真水の確保が難しかった柳川市で、河川から水を引いたり雨水をためたりするために掘られ、掘った土を盛って田畑や家屋を作った。対水害の視点でみれば、雨水の行き場と盛り土を確保できる“先人の知恵”だ。さらにその機能を最大限に生かすため、市水路課が主導するのが、椛島さんたちが奔走した「先行排水」だ。 本格的に始まったのは12年の九州北部豪雨以降。同課の松永久課長は「農業被害がひどかった。以前にはなかった雨の降り方が増え、一気に危機感が高まった」と話す。雨量予測が外れれば農業用水不足につながるリスクもあるが、農家の理解もほぼ得られるようになったという。 実はすでに江戸時代に、柳川藩で先行排水が進言された記録がある。1800年代の重臣、吉田舎人(とねり)が家老の立花内膳に送った緊急の書状が柳川古文書館に残る。「きっと洪水になる(中略)予防的に二丁井樋(いび)の南側を片ぶた、北側のふたをすべて開放した方が良い」-。ここにも先人の知恵が垣間見える。
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August 06, 2020 at 09:44AM
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“先人の知恵”で豪雨被害減 1100の排水門を開門、住民も加勢「先行排水」(西日本新聞) - Yahoo!ニュース
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