Saturday, December 10, 2022

【鉄路と生きる(2)】第1部 磐越西線 産業育てた輸送力 石採掘、地域の礎に - 福島民報

1941年の発送簿などをめくりながら、幼い頃の活気をたどる佐藤さん
1941年の発送簿などをめくりながら、幼い頃の活気をたどる佐藤さん

 「日本資本主義の父」と称される実業家・渋沢栄一は1901(明治34)年5月、現在の福島県会津若松市で演説に立った。

 「会津の産業発展のために力を合わせるべきだ。そのために岩越鉄道(現JR磐越西線)の敷設がある」

 資金不足や路線の誘致合戦などを巡り若松駅以西で工事が停滞する中、会津地方の天然資源の豊かさなどをたたえ、鉄道の開通に地域で力を合わせるよう訴えた。渋沢に後押しされるように、新津(新潟市)-郡山駅間が1914(大正3)年に全線開通する。

 鉄道は大量・高速輸送を可能にした。渋沢の言葉通り、沿線では新たな地場産業が発達した。喜多方市高郷町のJR荻野駅前に本社を構え、「石の丸正」の名で親しまれる丸正の石材業もその一つだ。

 「線路に沿って300メートルくらい、出荷する石がぎっしり並んでいた。毎日汽車に積み込み、なくなれば補充した」

 丸正会長の佐藤道治さん(85)は子どもの頃の記憶をたどる。会社は荻野駅が開業する4年前の1910年創業。新潟で石屋を営んでいた祖父正治さん(故人)が新たな産地を求め、現在の荻野駅近くに岩盤を発見したのが始まりだ。

 鉄道開通まで、輸送手段は荷馬車だった。多くの労力と時間を費やした。列車に代わり、事業は一気に軌道に乗る。さまざまなサイズに切られた石材は主に新潟側に運ばれ、石塀、かまどなどに使われた。

 佐藤さんは中学生の頃、祖父から創業当時の話を聞いた。やぶが茂り、住居が4軒程度だった地域に徐々に職人らが住み始めた。事業拡大を目指す新潟の別の業者も次々と荻野で起業したという。駅周辺は活気づき、住居は100軒程度に増えた。

 丸正には1941(昭和16)年当時の発送簿が残る。日々の輸送量が細かく記録されている。びっしりと書き込まれた帳面が、産業振興に貨物輸送が果たした役割を物語る。「何もなかったこの地域を、磐越西線が発展させてくれた」。佐藤さんはページをめくりながら、当時に思いをはせた。

 磐越西線は産業の創出にとどまらず、それまで地域に根付いていた伝統産業の販路拡大にも貢献していく。

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December 11, 2022 at 07:36AM
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